急速な普及
昭和12年には、8353台に達し、わつか2年で累計1万台を生産しました。
そしてこの3年間にアメリカと同じく34年型、35年型、36年型と年度ごとに型式を変更し、わたしたちの国の大衆にもっとふさわしい小型自動車を育成しようと試みた。
そればかりではない。
中古車情報でみたところ、全国にめぐらしたダットサソ全国販売店を通じ、自家用車、タクシーとして売られ、その経済性、価格の低廉性によって急速に普及したそうです。
ここに日産は、わたしたちの国ではじめて機械工業のおくれをアメリカの自動車メーカー、グラムハム・ペイジ社の設備機械をそっくり輸入する形で克服し、国家の特別な保護もなく乗用車という耐久消費財を商品化したのでした。